心筋梗塞になったけど生還した話をします。
もう皆さんこんな目に会ってもおかしくない歳なので参考になれば良いのですが。
体の調子も悪かったけど景気が悪くて会社の建て直しに必死です。なかなか他の事も出来ずに居ます。
早く景気が良くなって折角のイギリスでゴルフでも出来るようになりたいと思っています。
心筋梗塞 生還記
金網入り心臓、筋金入りではなく金網入り心臓の話。
心筋梗塞になりチョット危なかった話です。
一ヶ月前なのか二ヶ月なのかはっきりとは覚えていない。
丁度、景気が急に悪くなって来ていて会社でどんな対策を立てるか連日の様に社内での打ち合わせ・資料作り・日本との電話会議等々をしていた頃にフッとやる気の出なくなる時が有った。こんな大事な時にと思っても心も体も付いて来ないなーと自分が情けなくなったことが何回か有った。
また、ジムに通っていたのだけどなんとなくしんどくて行きたくないなーとこの2ヶ月で2回しか行っていなかった。それも義務感で。
更に、3週間前の土日はイギリスでは久々に晴れて青空が出ていたのだけどだるくって外に出る気にもならずパジャマで2日間過ごした。風邪だと思ってた。
12月初旬に日本へ出張することになっていた。
時々、みぞおちの辺りを押さえていたので同僚が"日本で医者に見てもらったらどうか"と言ってくれていた。
以下が超ラッキーで生き延びた話。
12月14日(日)に日本着。
15日(月)には朝、本社の医務室へ立ち寄って明日の診察を予約。そのときは何も症状はなく、同僚の勧めに従ったのみ。
その後、宇都宮のお客さんへ行った。尾崎さんとニアミスと思いながら。重いかばんを持って足の長い若い部下に付いて新幹線ホームからタクシー乗り場へ行くのがしんどかった。帰りに餃子を食べようと部下が言うのにビールだけを少し飲んでおしまい。
16日(火)9時半に医務室へ。
担当の医者は循環器の専門家で午前中のみの。心電図を採って以前のものと比べると明確な差異あり。直ぐに他の病院での18日の精密検査予約をしてくれた。その後、会議室で来年度予算と中期計画の議論。自分の出番が終わり席に着いてしばらくするとムカムカ。胸が重い。暑くなって汗が出たと思ったら直ぐに引いたり。担当医が午前中だけだったのを思い出し昼直前に会議を抜け出し医務室へ。心電図は朝ともまた違う。症状が動いていると直ちに紹介状を書いてくれ入院手続きをしてくれた。移動は電車ではなくタクシーにせよと。
本人は歩けることから会議室に戻り、出席者に事情を説明し、出張中一週間宿泊予定のホテルにタクシーで行き、残りの日程をキャンセルし、着替えの入った荷物を持って再度タクシーで病院へ。病院では遅いとおこられた。タクシーは指示に従ったのだけど…
(ここで、後から聞いた話。心筋梗塞は一時症状が戻ることがあるらしい。そこで本人が油断して処置が遅れて手遅れになることが有るらしい。これも要注意。)
病院側も入院手続きは意外とゆっくりしてたし。
そのゆっくりの手続きが終わったとたんに車椅子に乗れと。そこまで重い荷物を持って歩いてきたのに。いきなりCCUに連れて行かれさあ脱げと裸に。一応、簡単なふんどし状の物は付けてくれた。脱いだものはコートからパンツまでCCU内のもうひとつのベッドの上に。心電図のケーブルと点滴のチューブが取り付けられた。カテーテルでまず検査が必要との事で承諾書に自らサイン。家内には医師が電話でOKを取り付けた。
カテーテルは右の手首から入れることになっていたが、万一のことを考えて股からの準備もすると,看護婦がバリカンを持って来た。
えー、元気になったらどうしようと一瞬思ったが息子はほとんど反応せず。全くやる気がなくなっていた気分と心臓にさえ血も良く回っていなかったことも有ったのかセーフ。
周りには数人の看護婦も居たけど彼女らは小生の一物をチラリと見ただけでフンこんなものという感じだった。見飽きているのか見慣れているのか見る価値もなかったのかだね。
心臓が元気になった今だったら息子はどうなってたんだろうかと冷や汗もの。その時やる気のなかった息子に感謝。
いよいよ手術室へ移動。右手首だけの局所麻酔だったので医者と会話をしながらの手術。カテーテルが手首からヒジ、肩の辺りへ移動しているのが分かる。そこから先は分からなかったけど。
まず、血管造影剤を入れた。
心臓の右冠状動脈が3箇所狭くなっていることが分かりステントを入れることになった。
根元はかろうじて通じているが先の方は造影剤を入れても血管が見えないくらいに詰まってると。ステントとは金網で出来たチューブで目的の場所にもって行ったら風船で拡げるんだと。
医者が8気圧、10気圧、12気圧と言っているのが聞こえる。
風船がはじけたらおしまいだなと思いながら聞いていた。
結局、直径4mm、3.5mm、3mmの3つの金網チューブを入れた。
その後は心臓の先まで血が通っているのがはっきりと見えた。
また、身体中全て!すこぶる調子が良い。血の巡りと言うのがこんなに影響するのかとびっくりした。
手術の傷も手首の1mm-2mmくらいの傷跡のみ。本人はすこぶる元気になっているので直ぐにも動きたかったが、医者は"心筋はそれまでの間に酸素不足でダメージを受けているし、手術も大変な負担になっている。よって、心臓を休ませる必要が有る。"と最初は寝返りのみの許可。よっておしっこは尿瓶。
1日目はベッド上での寝返りと起き上がりのみの許可。まだ心筋のダメージが回復の兆しを見せないと3時間おきに採血、検査。
2日目はCCUを出て個室へ。ここで室内を数歩歩いての心電図確認でOK。心筋も回復の兆しありと採血はしなくて良くなった。トイレはOK。
3日目は200mの歩行テスト。
4日目は500m。点滴と心電図のワイヤーは付けたままだった。ここまで難なく突破。やっと、点滴と心電図のワイヤーから開放。
5日目ではシャワーのテスト。ここでは心電図の電極の位置は全く同じにしなければならないからと胸や股の辺りにマジックで印を付けられて、他はごしごし洗っても良いけどと。5日ぶりのシャワーだったから気持ちよかった。シャワー後の心電図もパスで正式に退院許可。
アルコールと食べ物に気を付けて普通の生活をしてくださいと手術をした医師から言われほっとした。アルコールも普通で良いと。小生の心臓は普通の人以上に動いているから運動もサボらずにしてくださいと。
血が通う様になったのだからジムもサボらずに行こうと思う。
ただ、以前は水を飲まずに1時間の運動が出来ると自分の体力が付いてきたのだ、良い事だと思っていたし、ジムの後で直ぐにシャワーを浴び、また風呂上りにビールをグッと飲んでた。これらは血液の粘度を上げ流れにくくすることばかりで心筋梗塞には全く良くないことばかりと。
適度に水を飲んでアルコールは控えるようにと他の医者に言われた。
上記の普通にアルコールもOKというのは"循環器の医者はアルコールに甘いからなー"と。
結局、純アルコールで30cc/dayが適量。60ccがmaxとして生活をしている。以前の半分以下。
会社の医務室からの電話、即、入院を受けてくれた循環器部長がわざわざ病室に来てくれて"もう一日我慢していたらホテルの部屋で冷たくなってたかもね。早くてよかったね"と
確かに、イギリスで発症していたらもっと我慢していただろうし、イギリスの制度ではまず家庭医に行ってそこから専門医を紹介するようになっている。これでは間に合わなかっただろうなと思う。
見舞いに来てくれた取引先の人も心筋梗塞をやっているが、彼はロシアへ出張中におかしくなったが当然我慢して週末に帰国し、たまってた仕事を月曜日に済ませて火曜日に病院に行ったらそのまま帰してもらえなく入院。彼の場合は一月の入院で、飛行機には3ヶ月OKが出なかったと。
小生の場合は5日間の入院で済んだ。これは処置が早かったのと若いからだと。循環器の患者は大半が80歳くらいで60歳は若いんだと。
また、退院後広島へ帰るのに飛行機でと医者に行ったら新幹線にしなさいと。理由は飛行機だと何かあっても1時間くらいかかるが新幹線は途中駅で停まれるから。気圧変化は理由では無かった。
英国へ帰るのに長時間飛行機に乗るのは2週間後にしなさいと。それまではダメージを受けた心筋をゆっくり休ませ回復させる必要が有るんだと。
退院後の食事指導も受けたが、仙人の様な生活をせねば死んじゃうような内容だった。手術をしてくれた医師の甘い言葉を信じての普通の生活をしよう。
とにかく、今回は自分で心筋梗塞の症状が分かったのが良かったと思う。我慢せずに早めに医者に行くことの必要性を学んだ。
我慢は美徳ではない。
もうすぐ定年になる歳になったんだから古い機械と同様に、無理をさせずに、チェックを十分して、修理せねばならなければそうもするし、と、気をつけながら使って行こうと思う。
1. 英国を出る前に診察を受けると決めてきたこと
2. そのときの医者が循環器の専門家だったこと
3. その医者が昼までの勤務と知ったことで会議中だが再診を受ける気になった判断
4. 日本でその医者が居るときに発症したこと
5. その医者のネットワークで直ぐに入院手続き・更に即手術が受けられたこと
・・・・等々のラッキーが重なったことで軽くて済んだ。
この尽力してくれた人たちに感謝すると同時に、このラッキーが全てに回ることを期待しよう。