
このたびの 英国への旅は とても 貴重なものでした。 伊藤さんの すすめもあり 皆さんに レポートできる機会があること嬉しく思います。 長良川へのクラス会は初めて家族をおいて 家を留守した旅でした。 そんな私が 3週間も旅をするなど 何という変わりようでしょうか。 いよいよ 私の新たな人生のスタートでしょうか。 大学のころから 師事していた染めの先生が 「JAPAN2001」の行事で ロンドンで 灰汁醗酵建てで藍を建て 作品の展示 講演そして ワークショップを されることとなり その助手としていく事となりました。 飴村秀子先生は 日展の審査員をされるほどの方で 広島出身で 防府在住です。 山口県の有志により JAPAN2001の実行委員会が立ち上がり 日本の文化 芸術の 紹介の為 渡英する事になったわけです。 9月19日 テロのすぐあとでしたから すこし 不安がありましたが 使命感に燃えて行かれる 先生に 助手として精一杯お手伝いしたいと 博多空港を出発しました。 実行委員会が 少し頼りないなとは思っていましたが 私としては事前に 口出しできないと思って いましたから 実行部隊の私たちを待ち受けていた苦難の数々 大変な事の連続でした。 実行委員会に力がなく そのうえ 予算も少なく 一時はどうなる事かと思いましたが 無事 すべての 行事を 盛会のうちに終えられ 任務を果たせて ほっとしています。 やっぱり 先生の作品が世界に通じる本物で 日本の藍の色も人々の心を捕らえて離さない物だと 確信しました。大変だったけど 本当に貴重な経験でした。 まず 最初に大変と思ったのは 宿でした。先発隊の3人は 先生 私 そして通訳役の崎部さんは 30日にツアーで日本から20人の方が来られるまで 予算の関係で ロンドン大学の寮でした。 ついてすぐ あまりのひどさに 自費でホテルに移りましょうと先生に言ったくらいでした。 若い人たち バックパッカーの宿というところでしょうか。共同のトイレとシャワーには閉口しました。 詳しくは 涙と笑いなしでは語れませんので このレポートでははぶきます。 ところが それより 困ったと気をもませる事があったので 宿は我慢する事になったのです。 先生の作品を5個送った内 2個が行方不明で こちらで考えるほど そぐに検索できなかったのです。 とうとう 大使館に頼み込んで なんと 運送会社の倉庫の隅に転がされていてのを 探し出す事ができたのです。日通の美術運搬を使っていたらよかったのですが これまた 予算の都合で 郵便局の便だったのです。英国につくと 民間の運送会社に委託されての配達になり こちらが考えているほど簡単に検索できなかったのです。ぎりぎり 荷物は 展示に間に合ったのです。 それより どうなる事かと気をもんだのは 藍の建つのに時間がかかった事でした。 いろいろ 原因が考えられましたが 一番の事は 藍の菌をつけていたかき混ぜる為の棒が 最後に届いた荷物の中にあり 藍建てに使えなかった事でした。どうすることもできず するだけの事をして待つと言う事でした。これは つらい時間でした。祈って待ったというのが本当でした。 ワークショップの日にちが決まっていましたから 2日の 朝まで ハラハラどきどきでした。 26日に 大和ファンデーションという所で展示とセミナーを行い ここで まず 良い感触を受け 良い出会いもありました。1人は英国人の陶芸家と結婚して藍をできたら英国で建てたいと思っている よしえさんで2人目の出産を来春に控えながら参加していました。熱心なので何時の日か実現するのでは と思っています。それから 彼女の勉強にもなるので いろいろ手伝ってもらいました。今もロンドンに残した 藍さんを大学のJoneさんと管理していてくれるはずです。 もうひとり 丸紅の欧州の社長さんの奥様がいらしていて 1晩私達を泊めていただけることになりました。 5日ぶりに 風呂に柔らかいベット 天国に招かれた気分でした。その方の紹介でNHKともコンタクトがとれ ラッキーでした。 藍はケンジントンゴワにあるRCA(ロイヤル カレッジ オブ アート)王立芸術院という芸術の大学院大学の 染織の工房で建てました。10月1日に大学が始まるまで助手のJoneさんが手伝いをしてくれ 帰国後は 工房に残してクリスマス位までは生き続けるはずです。大学でも初めての事でしたが素晴らしい事をしてくれたと 喜んでくれました。いまも 大学では毎日 染めにくる人がおとずれているはずです。 私達にとっても 最高学府でできた事は名誉な事とだったと思います。事前調査で 先生の作品を見せ所 現代アートとして藍を使っている点に芸術としての価値を認めて興味を示され 許可されたたようでした。 この大学には世界の美術大学を卒業した人たちがたくさん来ていて 10月になり 日本人の学生も たくさんやってきました。10月になると 大学が突然賑やかになり それまで カードの鍵なしでは入れなかった ドアもFreeになりました。 30日までは藍の仕込みと展示 セミナーの準備に追われ 観光はほとんどできませんでした。 時間がとれたので共同通信の支局長にお目にかかりにBankまで地下鉄で行きました。いかにも金融街と いう感じのところでした。事前に青木さんと連絡とればよかったのですが 飛び込みで伺い 興味をもってくださりましたが取材には来られませんでした。 NHKには 総支局長とアポイントが取れ WestMinsterまで地下鉄でいき 地下鉄を上がったとたん 目の前にそびえるような大きな時計にびっくり それがBigBenだと納得するのに時間がかかりました。 東京タワーを真下から見た事を想像してみてください。テームズ川を左に見て 英国国教会を左に WestMinster寺院を右に見ながら MillbankどうりのNHKにつきました。 観光のメッカのような所で中を見学できませんでしたが 思いがけない道でした。 一時間も話を聞いてくださり戦争のニュースがいつ入るかわからないので 取材の約束は できないけどと言われましたが できるだけの事はしたからいいかと 期待をしていませんでした。 幸運にも2日のワークショップの取材に来てくれ 日本で全国ニュースになりました。 私にとり 大変な事の連続でしたから 最高に嬉しいことでした。 今 ロンドンからのニュースを見るたび あのちらっと見えたスタジオからの映像だと思うと戦争が近い感じがして います。映子さんや岡田さんに頼んで 帰国後 ビデオを見る事ができました。感謝です。 RCAのすぐ前にHide Parkがあり ダイアナ妃の住んでいらしたというケンジントンパレスがその一角にあり ました。大きな公園で 中には 歩道 車道 そうして馬道 子供の為の広場や 花壇 スポーツする広場など市民の 憩いの場所のようでした。1日だけ1時間ベンチに座って ボーとして のんびりしました。 また 次の日 すぐ近くにPortobelloという骨董市のたつとことがあり 2時間ほどうろうろしました。 ほしい物は高くて手が出ませんでした。英国の人にとってはヴィクトリア時代が自慢らしく 誇らしげにする様子が 今も浮かんできます。銀食器 ガラス製品 ほしい物いっぱいでした。 ツアーの人たちの勉強会を VA(ヴィクトリア アンド アルバート美術館)―大英博物館と並んで有名な 工芸の美術館でする予定でしたので 下見をし 4日の特別資料室で ウイリアム モリスの天然染料の 作品を調べたりしました。 これも 特別な経験でした。 30日からは やっと ホテルに移り RCAでの行事 VAの勉強会と大きな山をこえ 5日から ロンドンをはなれ 南のSassex地方での市民交流 展示 ワークショップをしました。間に立った日本人が怪しい人で 日本人を世話すると言いつつ くいものにしてしているようなひとでした。もう少しで いろいろ お金をせびられる所 でしたが なんとか 日本旅行のツアコンの山崎君の働きで切り抜ける事ができました。 変な日本人もいるもんです。集まった現地の人は ギルドの会の人たちで その土地の最高の人たちでした。 もちろん 反響も 上々でした。ブライトンという町に泊まりましたが 大西洋に面したところで 海で カイトサーフィンを楽しんでいる姿を見ました。日本に帰って聞いたのですが いま はやり始めたばかりだとか・・・ 波乗りボードの上に 凧がついているのです。バスから見る風景に やっと 旅している気がしてきました。広い丘陵地 羊の群れ コッツヴォルズ地方のバスの中でやっと ほっとしました。 8日最後の晩 夕食に行くと 1時間前から アメリカの報復が始まり いよいよ戦争だというニュースが流れていたと 話題になり あすは 最後少し早めにヒースローに行きましょうということになりました。 最後 コッツヴォルズ地方の素敵な村 Oxford ウィンザー城などを観光して旅は終わりました。 3週間を 駆け足で 報告しました。 いろいろ見たり聞いたり 不思議に思ったりした事 追加で 報告していきたいと思います。 大変な事がいっぱいでしたが いい仕事ができ 私も こんな機会に恵まれ 黙っていかせてくれた主人に感謝 ぶつぶついいつつ留守番してくれた姑にも感謝 関わってくださった全ての人に感謝です。 なりより これからの 私のしたい方向が はっきり 見えてきた事にも 感謝です。